もう夕方くらいかな。
ただ、私は一つだけを考えていた。
『志摩さんを恋してるのなら、キミは一緒にいないほうがいい』
リコの言葉が思い出される。
『キミはネコで志摩さんは一応人間だし。・・・それに、志摩さんはちゃんに恋してる』
『そんなこと解ってた・・・でも、解らない』
『解らないなら尚更だとおもうよ』
やっぱり、志摩さんの近くにいたらダメなのだろうか。
確かに想いは報われないけど、それでも一緒にいたい。
恋は人間もネコも一緒でしょ?
解らない・・・どうしてリコはそんなことを言ったんだろう。
さんはリビングで本を読んでいた。
リコは彼女の足元で寝転んでいる。
ふと、彼女が私のほうを見た。
リビングの入り口付近で呆然と立ち尽くしていた私を不思議そうな目で見て、微笑んでくれた。
「ココちゃんどうしたの?おいで」
優しい口調で言われ、私は思わず近くに寄ってみた。
するとさんは膝をぽんぽんと叩く。
・・・・・・ここにおいでってことだろうか。
素直に膝の上で丸まってみると、彼女は背中を撫でてくれた。
商店街の小さな本屋と冴えない八百屋の間にあった、私の家を思い出してみた。
野良猫という仕事をやっていたとき、やってくるのは子供ばかりだった。
毛や尻尾を引っ張られたこともあったけど、撫でられたことは無かった。
道行く人たちからは“不吉の象徴”のような目で見られ続けていた。
ゴミや水を被せられ、私は薄汚くてみすぼらしいネコになっていった。
・・・本当は悲しかった。
なんて汚れた世の中だろう。
ネコなのにそう考えて、ならなかった。
今は、人間の膝の上で撫でられている。
予想以上に気持ちがよかった。
人間なんて、大嫌いだっていう気持ちをも変えてくれるほどだった。
小さくてもいい、愛が欲しかった。
その愛をたくさん教えてくれたのは、
その愛をたくさんくれたのは、
志摩さんとさん、この二人だった。
不意に立ち上がり、膝から床に下りるとさんは不思議そうな表情をした。
「ココちゃん?」
彼女からリコへ視線を変える。
・・・言わないと。
「にゃぁーぉ」
「・・・ワン、ワンワンッ」
『私、出て行く』
『・・・そう。手伝うよ』
短い会話で、さんはきょとんとしていたけど。
それでもリコの返事から、親しみはこもっていた。
私は次にさんのほうを向き、言った。
どうしても言いたかったことを、伝わらなくても言った。
でもさんからは「にゃー、にゃー、」位で解らなかったと思う。
でも、私はありがとうの言葉と、志摩さんへの言葉を言った。
尻尾を揺らしながらリコのほうをむくと、リコはさっきの場所にはいなかった。
少し先に窓があり、それを器用に開けていたところだった。
「・・・え、ちょっ、ココちゃん?」
それでもさんはそれが最後の言葉だってわかったみたい。
私は彼女の声に振り返ることなく、小さな歩幅で走った。
タタタッ、と4足で走る。
私・・・黒いネコは、ゆっくり走って窓を出て行った。
「・・・・嘘、でしょ・・・・・・・・」
さんの声は、何も聴こえなかった。
ネコは自分の自由で生きるもの。
誰かのためだなんて考えたらダメだ。
それを教えてくれたのはリコだった。
志摩さんと離れて欲しかったのは、私自身のためだったのか。
結局私は、ネコでしかなかったということだ。
「・・・みゃーお・・・」
私の名前はココ・・・。
これは絶対に忘れられない、志摩さんとの思い出。
夕焼けで、住宅街は赤く染まっていた。
歩きながら空を見上げると、ふと目に入った別の“赤”
風船だ・・・赤い風船が自由に空を舞ってる。
・・・・・・・・・これで、よかった。
私の想い全てが、あの風船に吸い込まれたように感じられた。
空が赤いからかなぁ、風船が赤いからかなぁ。
悲しいからかなぁ、それとも私が泣き虫なだけなのかな。
涙が溢れて、前が見えないよ。
私は、黒いネコ。
人間に憧れた、でも人間になれないネコ。
職業は相変わらず、“野良猫”
商店街の小さな本屋と冴えない八百屋から離れ、当ても無く歩いてる、ただのネコ。
“ココ”って名前の、ただのネコ。
一生懸命、“今日”を生きてる。