私の名前はココ。
 こんなに似合う名前は無い。
 でも・・・あれ以来、まだあの人は来ない。

 志摩さんって言ってたっけ・・・なんでこんなに悲しいんだろう。






黒いネコと小さな愛






 子供たちからは相変わらず「ミャー」と呼ばれている。
 私は相変わらず商店街の本屋と八百屋の間に住んでいる。
 通り過ぎる人たちは、私のほうを見ない。
 見ると幾度も嫌な顔をする。

 私の名前は誰も知らない。



「お前それいい加減捨てろよ」
 ふと、変な格好をしたカップルを目撃した。
 彼女は彼の問いに「だってゴミ箱が無いもん」って可愛らしく振舞って答えていた。
「ったく、貸せって」
 彼女から乱暴に空き缶を奪い、人の目も気にすることなくポイッと投げた。
 実際人々の目はカップルにも空き缶にも行ってなくて、その人たちは行方も追わずに視線を戻した。

 空き缶は流線型を描いて私の隣に落ちた。
 カコーン、となんとも軽快な音を立てて落ちた空き缶は、コロコロコロと私のお尻の変まで転がって止まる。

 なんて乱暴なやつらだ。
 そう言ってやりたかったけど、私は後ろ足で空き缶を蹴るくらいしか・・・しなかった。
 言っても解らないだろうし、向こうには私の姿すら目に映ってなかったんだろう。
 だから、言っても無駄なんだって思った。



 今日も、現れない。
 昨日も、現れない。
 明日は現れるかな。

 私は夜な夜な星を見上げながら、何度もつぶやいていた。

「みゃーお、みゃーお、みゃーお・・・」
 私の名前はココ、私の名前はココ、私の名前はココ・・・


 忘れないように。
 志摩さんの笑顔を忘れないように。
 私の名前を忘れないように。
 私はただひとつだけ浮かぶ星を見て、何度も何度も繰り返していた。

 それから数日・・・・・現れない。



 嫌なことばかりが起きていた。
 誰か無神経なやつがタバコの火を投げてきて、私は危うく肉球を火傷しそうになった。
 尻尾を膨らませて怒ってはみたけどやっぱり伝わってなかった。
 冷たい視線を送ったと思ったら、そいつはスタスタと気にしない様子で歩いていった。

 いつも忘れないように繰り返してると、子供たちに不振がられた。
 何処かおかしくなったのではないか、と尻尾を引っ張られた。
 彼らの頭の中では、私は機械同然のようだ。
 尻尾や耳を引っ張っていた。
 でも私はただひたすら繰り返していた。

 繰り返す声が煩いって、八百屋の主人が水を持ってきた。
 一言怒鳴り、私に水を掛けて追っ払おうとする。
 それでも私はこの場所を動くわけにはいかなかった。
 バシャッ、とおとなしく水を被った。
 毛はペタリと引っ付いてその先からは水が滴る、みすぼらしい姿になってしまった。
 主人が戻ると私はブルブルと水を飛ばし、少し声を落として鳴いた。



 志摩さんは、一向に現れる気配が無かった。



 それから何日が経った夜。
 相変わらず商店街の透明な屋根から、ひとつだけ星が見えていた。

 私の名前は、ココ。
 彼の名前は志摩 義経。

 どうしてだろう。
 私が今まで大っ嫌いだった人間なのに、どうして来ないだけで悲しいのだろう。





 本当に悲しいからだろうか、それとも星の光が眩しすぎたのだろうか。

 気付けば、ポロポロッと涙が溢れていた。